1986年(昭和61年)4月 「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」がスタートしました。この「男女雇用機会均等法」で入社し、女性の総合職第1期生として活躍してきた先輩は56歳を超えて、大学院卒は、あと1,2年で定年を迎えます。
私は第二世代で、総合職としてバリバリ働いている彼女達をお手本に、男性の同期と肩を並べて、様々な職場へ総合職として働き始めました。作業服姿で22歳の私が職場の現れた時、当時男性ばかりだった研究所は職場の花が来て、華やかになったと喜ばれました。(今考えると、これもセクハラかもしれません笑)
法律のサポートは素晴らしく、一見すると日本の女性活躍は順調そうに見えました。しかし、実際に働き続けようとすると、制度で守られる表面的な事より、職場の周りの方の理解が得られず、ミーティングから外されたり、大切な情報を頂けなかったり、精神的にも辛いことがたくさんありました。
1990年代の前半、同じ職場にいても、女性を一段下に見ることに何も違和感すら感じない男性の集団で仕事をしているのです。この状況をどの様に切り抜けていくのか?様々な方法を試みました。
アメリカでは大坂なおみ選手が、黒人などに向けられる人種差別と戦っています。試合前のマスクは、カッコ良かったですね。でも、日本ではいまだに女性差別が深刻で、露骨に嫌がらせを受けるケースは少なくはありません。日経新聞に寄ると、非正規女性は7月時点で3月から88万人も減ったそうです。法律がスタートしてから、すでに34年が経過しても、難しい問題に直面している人は多いのです。声を上げなければならないと強く感じています。
でも、どうやって乗り越えるのか?それは、頭を使うしかありません。私の場合、頭の良い夫が、妻である私を、自分と同じ一人の人間として教育し続けていました。私が学んでいることは、人生の半分一緒にいる彼の教育の賜物です。朝起きると、今私が知っておかなければならない新聞記事が表にして机の上に置いていました。向いている方向が同じなので、効率的に勉強ができ、余裕の無い私は助かりました。30代、40代はあっという間に過ぎて行きました。当時流行っていたコーチングやMOTを学び、リアルとオンラインの両方でトレーニングを重ねました。出産で約6年遅れた昇格ですが、上司は私を管理職研修の担当にしてくれたおかげで、皆と同じタイミングでマーケティングや人材育成を学ぶことができました。その後、数年遅れで、研修を受けることもできました。
今思うと、仕事上で嫌なこともたくさんありましたが、黙って見守ってくださっている方、応援してくださる方も多く、貴重な経験をたくさんしてきました。良い上司は忙しいながらも、自分の意見を押し付けることなく、きちんと部下の話を聞いてくれたので、納得の上で仕事をして、新しいスキルを身に付けることができましたし、斜め上の上司(隣の部署の上司)は飲みに行って雑談の相手をしてくれました。言葉が足りない未熟な私に変わって、私の上司に想いを代弁して伝えてくれる方もたくさんいて、数々の失敗を乗り越えることができました。
さて、最近50歳になり、今さらですが、諸先輩方に教えていただいたことを、少し年下の世代に伝えることが求められているのではと思うようになりました。周りの方からフリーランスという働き方や、自分の好きな事を仕事にするという生き方について「憧れです!」と言われることも増えました。(お世辞かもしれませんが笑)
正直、実態は、優秀な友人や先輩の助けが多く、昔ばなし桃太郎のような毎日です。コミュニケーションの源になる美味しいお店やシェフの話は「きびだんご」、これを手に、犬、さる、キジ…ではなく人間の素晴らしい仲間を見つけて、鬼退治ではなく、新しい課題にチャレンジしています。
また、私は習い事やイベントに熱中していることもしばしば。お付き合いしている方々が素晴らしい方ばかりなので、共通の趣味がご縁で、新しい仕事へのきっかけが生まれることもあります。
外食ビジネスや観光ビジネスでは、魅力的な感性と企画力、マーケティングなどのスキルを併せ持つ人の要望が多く、普段から自分が楽しめることに熱中するのも大事なことと思います。子育てが一段落し、稼いだお金のほとんどを趣味に投資しているからこそ、見えてくる景色は面白く、まさに第二の青春。「食」と「人」への情熱で、皆様のお役に立てればと思っています!
*写真は私が畑で育てているモロヘイヤの花です。