祖母と母が、自宅で日本料理を教えていたので、昭和30年代から親子で作る御節料理は我が家の伝統行事でした。
でも最近、祖母が100歳に近づき、母も70代に…私が記録を残さないと伝統の味や、技が失われてしまうかもしれない危機感を感じるようになり、今年はしっかりとお勉強してきました。寂しいことですが、世代交代の時間が迫っているのを感じます。
おせち料理の起源
紀元前2~3世紀、日本人が米を作り農業を始めた頃、当時の人々は四季折々に収穫される産物の喜びを、神に感謝することによって、単調になりがちな生活に節目をつけていました。
季節の「節」=御節の「節」
季節ごとに収穫物を神に供えることを「節供」といい、供えたものを料理して、豊作、大漁を願い、自然の恵みに感謝して食べる料理を「節供料理」と言いました。
その後、平安時代に邪気払いや不老長寿の祈願行事「節会」というかたちになりました。「節会」は、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日の五節句あり、祝膳を神に供えました。
当時は宮中行事でしたが、時代とともに季節の催しとして庶民の暮らしでも、盛んに行われるようになり、特にお正月は、新しい年を迎える代表的な節なので「おせち料理」と呼び親しまれるようになりました。
新年、まずは屠蘇(とそ)を酌み交わして、雑煮を食べ、おせち料理を食べます。屠蘇は、邪気を払う薬酒で、屠蘇散という漢方の生薬をみりんや酒につけたものです。
ちなみに、我が家は「みりん派」。甘いので誰でも美味しくいただけます。
お雑煮は、江戸時代から東京に住んでいるご先祖さまからの伝承で、関東風です。
鶏ガラで出汁をとり、焼いた角餅、鶏肉、なると、小松菜、里芋、大根、京人参、そしてゆずの皮を薄く切って香りを添えます。
おせち料理は、年神様へのお供えもの。日本には、「言霊(ことだま)信仰」があり、おせち料理は、「縁起のよい名前」の食べ物が詰められています。
三ツ肴「数の子、黒豆、田作り」(関東)はそれぞれ、子孫繁栄、まめに健康に動く、五穀豊穣の願いが込められていて、おせち料理に欠くことのできません。
もし、忙しくておせち料理のすべては用意できなくても、この三ツ肴さえ用意できれば年を越せますよ。
そして、伝統的な御節は、お重のなかにぎゅうぎゅうに詰めます。
お重というのは、富の象徴ですから、スカスカはNG。
今回、友人に習って、ぎゅぎゅっと詰めつつ、お洒落に飾る技を試してみました。
昨年より、華やかに完成です!
料理は10年経つとそのレシピに古さが出ます。12月になると、日持ちのする栗きんとんや、黒豆を作り始めます。そして、12月30日に母と焼き物、煮物をまとめて作りましたが、大晦日に友人から習った新しいレシピのおせち料理を加えてみたところ、家族にも好評でした。
〜守破離(しゅはり)〜 日本の伝統技術を守り、伝承していく方法で表現すると、
「守」まずは親から習った通りに作ることを覚えたので、
今の私は、外で習ったアレンジを加えている「破」の段階です。
さらにここから日本料理を自分のものにできる「離」に到達するためには、10年後かもしれません。その頃、息子にお嫁さんが来て、これが我が家の御節料理と教えられれば…(笑)
そんな先の夢を語りながら、家族で頂く御節料理は楽しい時間でした。